八十八夜といえばお茶

茶摘み

お茶の木は生命力の強い木で、葉を摘んでもまた新たに新芽が伸びてきます。
そのため、日本では1年に3回ほど茶摘が行なわれています。4月下旬〜5月下旬に、今年初めて萌え出た新芽からつくられる一番茶が新茶と呼ばれ、その茶葉には秋から春にかけて蓄えられた栄養が十分に含まれており、最も香味豊かなお茶とされています。


その後、二番茶(6月中旬〜7月上旬)、三番茶(7月中旬〜8月下旬)と続きますが、京都では通常、煎茶は二番茶まで、高級な碾茶・玉露は一番茶のみです。


「二葉摘み」一芯二葉
一芯二葉のことを古くから一槍二旗(いっそうにき)といい、二枚の若葉のついた芽の先端部分から玉露や煎茶の最上級品が作られます。


「三葉摘み」一芯三葉
玉露でも煎茶でも上級品をめざす時は新芽の先端から一芯三葉で摘み取ります。


「普通摘み」全芽(一芯四〜五葉)
一般の多くのお茶の摘み方です。


宇治では昔から一番茶の新芽を一葉一葉丹念に手で摘み取る方法を大切にしてきました。現在でも、高級な碾茶・玉露は手摘みです。しかし手摘みは時間とコストがかかり、普通の煎茶園では機械摘みが主流です。

手摘み園
折り摘み・かき摘み・しごき摘み・両手摘み・切り摘み


はさみ摘み園
機械摘み(はさみ摘み)・可搬型動力摘採機・乗用型動力摘採機


お茶の産地
茶はツバキ科の常緑植物です。亜熱帯性の植物で寒さや高温を嫌うため、寒冷地では栽培できません。現在お茶の木は北海道以外のすべての場所で栽培されていますが、一般には新潟県の村上市と茨城県の太子町を結んだ線以南が経済的に茶栽培が成り立つとされています。
それぞれの産地では地形や土質を活かした特徴あるお茶の生産が行なわれています。

桧山茶(秋田県) 村上茶(新潟県)
狭山茶(埼玉県) 猿島茶・奥久慈茶(茨城県)
静岡茶(静岡県)-天竜茶・川根茶・中遠茶・牧之原茶・志太茶・本山茶・富士・沼津茶
西尾茶(愛知県) 揖斐茶・白川茶(岐阜県) 加賀茶・輪島茶(石川県)
伊勢茶(三重県) 朝宮茶(滋賀県) 大和茶(奈良県)
宇治茶(京都府) 島根茶(島根県) 阿波茶(徳島県)
土佐茶(高知県) 八女茶(福岡県) 嬉野茶(佐賀県)
肥後茶(熊本県) 日向茶(宮崎県) 薩摩茶(鹿児島県)
沖縄茶(沖縄県)


お茶の歴史

お茶の原産地は、中国西南部の雲南省からインドのアッサム地方にかかる山地であろうという推測的な説が一般的です。しかし考古学的な証拠がないため明らかではありません。今ではアジアをはじめ、アフリカや南米などお茶の木の生育に適した多くの国で栽培されるようになっています。
お茶はいつ誰によって日本に伝えられたのか、あるいはもともと日本にも自生のお茶の木があったのかは、さまざまな研究がなされていますが、まだ確かな結論は出ていません。稲作や仏教などの大陸文化とともに、複合的に日本に伝来し、お茶づくりに適した環境の地に根をおろして、多くのお茶の産地が生まれてきたと考えられています。


中国唐の時代に、陸羽が世界最古の茶の科学書「茶経」を記していますが、お茶は最初薬として飲まれていたことが解ります。日本にお茶を広めた栄西禅師も「喫茶養生記」の中で、『茶は養生の仙薬なり。延齢の妙術なり』と書き記しています。


◆平安時代 
中国・唐へ渡った僧の最澄、空海が茶種を持ち帰り比叡山の山麓に植えます。
当時の唐では蒸した茶葉を臼でつき、団子にしたものを削って湯に溶かして飲んでいました。(餅茶あるいは団茶という)


◆鎌倉時代
栄西禅師が抹茶の製法を種とともに持ち帰り、高山寺の開祖明恵上人などに分け与えます。
高山寺で育てた木が京都栂尾に植えられて、宇治など各地に広まります。このことから、栂尾は、宇治茶発祥の地とされています。


◆室町時代 
足利幕府の奨励を受け、宇治茶の名声が広まります。将軍足利義満は、宇治七茗園と呼ばれる優れた茶園を宇治の里に作りました。
足利義政は、銀閣寺を建て茶事を盛んに行いました。


◆安土桃山時代
織田信長や豊臣秀吉も戦乱の間にもお茶を愛し、豊臣秀吉は、この時代に北野の大茶会を催し千利休らと共に茶の大衆化が図られました。


◆江戸時代
宇治の永谷宋円が蒸して揉み、乾かすという製法を草案します。
これが今日の煎茶の製法の始まりで「手もみ製法」と呼ばれる青製煎茶製法(宇治製法)です。現在各地で伝承されている手もみ技術はすべてこの宇治製法の流れをくむものとされています。
それまではお茶といえば碾茶(抹茶)のことでした。庶民は、抹茶にしたあとに残ったお茶や、茶葉をそのまま干したような、日乾番茶などを飲んでいたようです。
京都ではお茶といえば抹茶です。揉んだお茶など受け入れてもらえなかったため江戸で売ることを考えつきます。新しい製法の煎茶は色や香り、味が良く江戸や各地で非常に評判が高く、大いにもてはやされました。
一般庶民がお茶を楽しめるようになったのはこれ以降です。江戸時代はお茶の生産が大きく進展した時代でした。


その後、宇治で玉露が創製されました。


またこの時代には、将軍が飲むお茶を宇治から江戸に運ぶ、童謡にも歌われている「お茶つぼ道中」がありました。当時は大名行列でさえ道を譲らなければならなかったのです。

HOME BACK