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お茶(宇治茶)の歴史

茶葉お茶の原産地は、中国西南部の雲南省からインドのアッサム地方にかかる山地であろうという推測的な説が一般的です。しかし考古学的な証拠がないため明らかではありません。

今ではアジアをはじめ、アフリカや南米などお茶の木の生育に適した多くの国で栽培されるようになっています。

お茶はいつ誰によって日本に伝えられたのか、あるいはもともと日本にも自生のお茶の木があったのかは、さまざまな研究がなされていますが、まだ確かな結論は出ていません。稲作や仏教などの大陸文化とともに、複合的に日本に伝来し、お茶づくりに適した環境の地に根をおろして、多くのお茶の産地が生まれてきたと考えられています。

中国唐の時代に、陸羽が世界最古の茶の科学書「茶経」を記していますが、お茶は最初薬として飲まれていたことが解ります。日本にお茶を広めた栄西禅師も「喫茶養生記」の中で、『茶は養生の仙薬なり。延齢の妙術なり』と書き記しています。

◆◆平安時代 

中国・唐へ渡った僧の最澄、空海が茶種を持ち帰り比叡山の山麓に植えます。

当時の唐では蒸した茶葉を臼でつき、団子にしたものを削って湯に溶かして飲んでいました。(餅茶あるいは団茶という)

◆◆鎌倉時代

栄西禅師が抹茶の製法を種とともに持ち帰り、高山寺の開祖明恵上人などに分け与えます。 高山寺で育てた木が京都栂尾に植えられて、宇治など各地に広まります。このことから、栂尾は、宇治茶発祥の地とされています。

◆◆室町時代 

足利幕府の奨励を受け、宇治茶の名声が広まります。将軍足利義満は、宇治七茗園と呼ばれる優れた茶園を宇治の里に作りました。 足利義政は、銀閣寺を建て茶事を盛んに行いました。

◆◆安土桃山時代

織田信長や豊臣秀吉も戦乱の間にもお茶を愛し、豊臣秀吉は、この時代に北野の大茶会を催し千利休らと共に茶の大衆化が図られました。

◆◆江戸時代

宇治の永谷宋円が蒸して揉み、乾かすという製法を草案します。

これが今日の煎茶の製法の始まりで「手もみ製法」と呼ばれる青製煎茶製法(宇治製法)です。現在各地で伝承されている手もみ技術はすべてこの宇治製法の流れをくむものとされています。 それまではお茶といえば碾茶(抹茶)のことでした。庶民は、抹茶にしたあとに残ったお茶や、茶葉をそのまま干したような、日乾番茶などを飲んでいたようです。

京都ではお茶といえば抹茶です。揉んだお茶など受け入れてもらえなかったため江戸で売ることを考えつきます。新しい製法の煎茶は色や香り、味が良く江戸や各地で非常に評判が高く、大いにもてはやされました。 一般庶民がお茶を楽しめるようになったのはこれ以降です。江戸時代はお茶の生産が大きく進展した時代でした。

その後、宇治で玉露が創製されました。

またこの時代には、将軍が飲むお茶を宇治から江戸に運ぶ、童謡にも歌われている「お茶つぼ道中」がありました。当時は大名行列でさえ道を譲らなければならなかったのです。



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